虫の声

虫の声

この時季になると思い出す。

もう10年以上前になるが、9月の半ば頃、私たちはキャンプに行き、その2日目。前夜は夜中の1時過ぎまで起きていたはずなのに、なぜか5時過ぎに目が覚めてしまいこのまま起きようかどうか迷っていると、隣の隣に寝ていた人物が起き上がる気配があり、そちらに視線を動かすとN美と目が合った。

N美は私と目が合っても特に慌てたりもせず、にっこり微笑むと以心伝心、他の3人を起こさないように注意しながら私たちはテントを出た。N美を先頭に無言で雑木林の方に向かう。

彼女は、雑木林の手前まで行くと右方向に向きを変え、雑木林とテント設営場所として整地された部分の境目に沿って歩き出した。

「虫の声が凄いね」

N美が話し出し、私も「そうだね」と返答したが、N美と私は(私の主観では)5人グループの中にいる時はそれなりにじゃべるけど、2人だけでは元々あまりしゃべらない関係性ではあるが、しゃべらなくても仲が悪いわけでは決してなく、適度な距離感を保てるいい感じの友達という認識だ。

今回もN美と目が合った時に何をするのか分かり合えたのも、そういった感覚的な部分でお互いを認識しているからだと思う。自分自身でもちょっと不思議に思っているが。

とはいえ、あくまでも私の一方的な思い込みという可能性の方が高いので、“分かり合えている”という不遜な事は出来るだけ隅に追いやって、普通の社交性をどうにか発揮して話を広げるべく「今の時季に鳴いている虫の種類って何か分かる?」とN美に聞いてみた。

「……」

聞こえているはずなのに、N美からは返答がない。もしかしたら聞こえていないのかもと思い、前を歩いているN美に、もう一度同じ問いをしようとしたところで、N美が僅かに震える声音で話し出した。

「虫の声が段々と止んできているね──」

私は、どういう事かと訝しんだ。私の耳には先程までと変わらず虫の声が聞こえている。いやむしろ先程までよりも、より一層大きくなった感じだ。

「どうしたの? N美」

N美に声を掛けたが、N美には私の声が相変わらず届いていないようだ。私は早歩きになって、N美の前に回り込もうとした。

すると、N美は突然雑木林の中に走り込んだ。

「聞こえなくなった」という言葉を残して。

続けて私も雑木林の中に入ろうとしたが、何故かそこで足が竦んだ。虫の声が耳の奥に突き刺さるように聞こえ、私の行く手を遮るような感じがした。

そして、ある事に気づく。N美の姿や足音はおろか、気配さえない事に。つい先程まで目の前にいたはずななのに。いくら駆け足で雑木林に入っても、直ぐに見失う事はないはずだ。いや、駆け足で雑木林内を移動しているのならよけいに足音や気配は分かるはずである。

慌ててテントに戻り、残りの3人を起こすとN美がいなくなった旨を告げた。

3人は事の次第を聞くと「大丈夫? 寝ぼけてない? N美は彼氏と旅行とかでこちらをドタキャンでしょ」と口々に言った。

狐につままれたような気分とはまさにこの事で、N美が雑木林の中に消えた事よりもさらに吃驚した。二の句を継げないでいると、3人は「まだ5時半前じゃない。冗談もほどほどにしてよ」と言って、再び眠りに就いた。

私は、昨日の集合場所からキャンプ場までの道のり、さらにはキャンプ場に着いてからの一連の出来事を思い返してみたが、なぜかN美がいないと明確に言えなかった。朧気ではあるが電車の中などでN美と話したような記憶がある。但し、テント内の荷物などを見る限り、ここには元々4人しか寝ていなかった事が分かる。

先程目撃した事とテント内の荷物に齟齬があり、なぜか記憶も曖昧なため、自分の頭が変になったのかと思いつつも、改めて3人には「寝ぼけていた、ごめん」と謝り、残りの1日のキャンプを気もそぞろに過ごした。

キャンプから戻ってくると、私は直ぐにN美と連絡を取った、いや取ろうとした。しかし、連絡が取れたのはN美のご家族で、N美自身は意識不明で持ってあと1日か2日かだろうという話だった。

曰く「N美は1週間前にいきなり倒れたが、半日もすると意識は回復し小康状態になるものの、2日前の午前5時過ぎに、いきなり容態が急変し意識も混濁した」との事。

一緒にキャンプに行った3人に連絡すると、その3人も寝耳に水だったらしく慌てて病院に行き、N美のお姉さんからここ1週間の話を聞いた。

彼女は意識が回復した当初、約束していたキャンプの事をしきりに気にしており、病気の事を私たちにそのまま伝えると、キャンプそのものを中止にするだろうし、N美を除いた4人でキャンプに行く事を強く勧めても、それはそれで4人はキャンプを楽しめないだろうからという事で、敢えてN美は彼氏と旅行に行くというドタキャンを演じたらしい。

私たち4人は嘆き悲しみN美の回復を願ったが、彼女はそれから3日後に帰らぬ人となった。

気の置けない友達をいきなり亡くした私は、精神的にかなり落ち込み、他の3人も相当落ち込んだ時期であったと思う。それでも4人共なんとか立ち直り、たまに連絡を取り合う関係は続いている。

そして私は、今では断言できる。N美はキャンプに来ていた、と。

これはフィクションです