白い影の男

白い影の男

いなくなったと思っていたら…

深夜1時頃の話。

なんとか終電に間に合って、あとは駅から自宅までの10分少々の距離を歩くだけだと、連日の残業で疲れた身体を鼓舞しつつ住宅街を歩いていた。

すると、ちょっと先の十字路の右側から、見覚えのある恰好をした男が出てきた。

全身白っぽい服装のせいなのか、男の身体がその場にそぐわない、なんというか下手な合成写真のように妙に浮き出た感じに見えた。

「あれ、なんか見た事あるんだけど、何だっけ? …あぁ、ここまで来てる感じがするんだけど」と、呟きながら歩きを止めて、30~40メートル先にいる男を見ていた。

男はそのまま道を横切って左の道に入ると姿が見えなくなった。こちらもそれを合図に再び歩き出したが、男に対する既視感は相変わらず残り、もどかしさで頭が一杯になった。

会社の近くで見た事がある? 休日によく行くお店で見かける? 近所に住んでいる?などとあの男と出会いそうなシチュエーションを次々に思い浮かべてみるが、どれもしっくりこない感じで、何もが当てはまる事なく、自分自身で頭を小突いてみても思い出す事はなかった。

そうこうするうちに、先程男を見た十字路に差し掛かかり思わず左の道を見た。

誰もいなかった。

「えっ」と声に出たが、ここに辿り着くまでに幾分か時間があったので、その間にこの通り沿いの家に入ったのか、ちょっと先にある角を曲がったのかもしれないと思い直した瞬間、男が出てきた方の右の道が無性に気になった。

と、同時に深く考える事もなく、顔をひょいと逆側に向けた。

なんと、今立っている十字路の次の次の十字路に男が見えた。距離にして先程と同じような30~40メートル先に、まったく同じ恰好をした男がいた。

恐怖が襲ってきた。もちろん不思議という気持ちも若干あったが、それにも増して圧倒的な恐怖が全身を支配した。声を上げそうになるのを、自らの手で口を覆う事で必至に抑え込み、出来るだけ足音を立てないように気をつけながら、急ぎ足でその場を去った。

「恰好が偶々同じだった? 双子?」といった事を考えていると、そこでようやく思い出した。

夢だった。たまに見る夢。

昔から「全身白っぽい服装をした男が街を徘徊している」という夢は、疲労が重なると決まって見る定番で、経験則としてこの夢を見るという事は、身体が悲鳴を上げているサインと解釈している。という事は、今も“夢”を見ていると言う事? じゃ、寝てるって事? ええぇ──。

頬をつねるなんて事はしなかったが、一応右手で左手を叩いてみたが特に何も変わる事なく、そういえばさっき、頭を小突いたよなと思い出しただけだった。

う~ん夢じゃないよね。どういう事?と、改めて考えてみたが「疲れ」という以外に何も思い付く事もなく、やがて自宅のマンション入り口に到着し、エントランスで改めて後ろを振り返ってはみたが、いつもと変わらない夜の風景が広がっているだけだった。

やっぱり疲れから脳が何かのサインを送ってきたのかな?とひとり納得し、1基しかないエレベーターのボタンを押すと5階からエレベーターが降りてくるところだった。

自分の事は棚に上げて「こんな時間にエレベーターを使うなよ」と、ちょっとイラッときて呟いた。疲れているだけにいつもより余計に時間が掛かっている感じがして、じりじりとしながらエレベーターを待っていると、エレベーターは3階で一旦止ままる挙動をみせた。

「何だよ」と、再び呟きエレベーターを待ち、ようやくエレベーターが1階に到着し扉が開いた。──誰も乗っていなかった。

虚を突かれた感じがした。5階から動き出したエレベーターが3階で止まったという事は、当然3階で誰かがエレベーターに乗ったと思い込んでいたからだ。

釈然としないながらも、エレベーターに乗り込み「4F」のボタンを押すと続けて「閉」のボタンを押した。エレベーターの扉には小窓が付いており外の様子が見て取れるため、その小窓を見ながら考えていると、「同じマンション内の住人が5階の部屋に行って、3階に戻るということもあるか…」と思い至ったところで、3階が見えてきた。

心臓が吃驚するほど脈打った。3階のエレベーター前には人がいたのだ。しかも、例のあの男が。相変わらず下手な切り抜き合成をした様な、周囲とは妙に色味が違う浮き出た感じで男は立っていた。

ただ、男はエレベーターの方には興味がないらしく、こちらからは男の左側やや後方が見えただけであった。これがエレベーターを正面に見据えていた男と対面したのであれば、エレベーターの扉越しとはいえそのまま卒倒していたであろうと、十分に考えられた。

迷う事はなかった。3階を過ぎると直ぐに3階からの呼び出しに僅かでもタイムラグを生じさようと最上階の「5F」のボタンを押し、エレベーターが4階に着くと非常階段の方に意識を集中し、あの男がそちらから来てないか確認すると下の階にいるという前提で、できるだけ足音を立てず自宅玄関前に辿り着いた。震える手で何とかドアを解錠すると自宅に滑り込んだ。そして施錠すると、安心したのかそのまま玄関先でへたり込んでしまい、寝てしまった。

起きたのは、チャイムの音に続いてドアを強めに叩く音がし、ドア越しに聞こえる「警察」というキーワードに驚いたからだ。

朝の7時半。玄関モニターに映る手帳を確認すると、寝ぼけ眼のまま恐る恐るドアを開けた──。

──それから数日後、話し好きの管理人のお爺さんから聞いたところによると、深夜1時半頃に例の住人の部屋が五月蠅いと110番通報があり、電話越しにもその五月蠅さが分かるほどで警察官が直ぐに駆けつけたが、その時は既に住人は死亡していたという。尚、警察官が部屋に入ると、部屋は台風でも来たのかと思われるくらいの有様で、原型を留めているものを探す方が苦労したというほどモノが壊されていたらしい。

警察の見解としては、衝動的な自殺ということで早々に片が付いているという。

それならなぜ、こちらにまで聞き込みをしに来たのかダメ元でお爺さんに聞いてみたところ、どうやら、その住人が自分自身以外の者に対して罵詈雑言を浴びせ、抗うような言葉も発している事が隣の住人の証言で分かっているため、一応誰か他にいなかったか、念のため聞き込みを行ったらしい。

そういえば、寝ぼけ眼でドアを開けると、一方的に話し始めた刑事が「防犯カメラを確認したところ、アナタが帰宅した直後に異変が起こったので、何か見ていないか?」と問うてきて、半覚醒状態だったため刑事の言葉が頭に入ってこず受け答えに躊躇していると、こちらを安心させるためなのか、結論ありきの裏付け捜査故なのか、先回りして言われた事を思い出した。

「エントランスやエレベーター、各階の廊下に設置された防犯カメラでアナタが関わっていないことは分かっています。ただ、エレベーターで3階を通るとき凄く驚いていたような仕種が見えましてね、それに、あの時間帯にマンション内を行き来したのがアナタひとりだけだったので、何か見てないですか? まぁ、見てませんよね…」

これはフィクションです