マンションでの出来事

マンションでの出来事

滔々と語る彼に辟易する私

「ほら、あのマンションだよ」

ダイニングキッチンの窓からの夜景を見ていた彼は、左前方にあるタワーマンションの一室を指さし、食後のコーヒーを飲んでいる私の方を振り向いた。

「へ~、あのマンションなんだ」

彼のテンションに合わせて、こちらもさも興味があるような口調で答えた。

「凄かったんだぜ、パトカーが何台も停まってて救急車も来てた。マスコミもヘリを飛ばして中継してたしね。あと2日早く戻っていれば、見られたのに」

「しょうがないじゃん。出張だったんだから」

2日前に約2ヶ月ぶりに米国・ニューヨーク出張から戻った私は、久々に自分のマンションで彼と会った。会ったというよりも、彼が待ちきれず押しかけてきた、と言った方がより正確かもしれないが。

付き合いだして3年が経つ。彼が時折みせる幼稚な振る舞いに多少辟易しながらも、ダラダラと関係を続けている。もっとも、この1年は日本にいる事がほとんどなく、SNSでのやり取りがメインであまり気にならなかったが、こうして久々に直接会うと、あぁ~こんな感じだったよねと若干滅入る。ただ、彼の気分が一度沈んでしまうと、今よりもより一層扱いが面倒臭くなるので、一応こちらも調子を合わせておく。

「でもさぁこの近所、最近物騒だよね。半年前には、あのマンションでも殺人事件が起きたし」

再び窓の方に向き直ると、彼は先ほど指したマンションの右奥にある、凝った外観のマンションを示した。

「そういえば、そっちでも事件があったね。まだ犯人、捕まってないよね」

なるべく平静を装った私だが、胸の奥がチクリと痛んだ。出来るだけ他人事のように聞こえるように注意し、最小限の返しだけに留めた。

彼は、私の胸中には全く気づかない様子でこちらを振り向くと、ますますテンション高く続けた。

「そう、強盗目的の一家3人殺害事件。夫は上場企業の重役で、妻は何かのコンサルト会社の社長、子供は有名私立中学の三年生。第一発見者は通いのお手伝いさんで、3人の死体が置かれていたダイニングは、床も壁も、さらに天井まで血まみれだったらしいよ。まず犯人は、網膜認証の金庫を開けるため、縛り上げた夫婦の目玉をそれぞれ計量スプーンで抉ったんだって。もちろん生きたままね、エグいよね。でも、その目玉じゃ金庫は開かない仕掛けになってて、結局お金は無事だったみたい。生体反応というのかね、それとも血流なのか、生きた人間の顔に収まっている目玉じゃないと、セキュリティ上その金庫は開かないだってさ。で、自分の失敗に激高した犯人は、夫婦の身体をわざわざ食事に使うナイフで刺しいて、丁度その時、塾から帰宅した子供とかち合って、子供の──ごめんごめん、ちょっとトイレ」

話に夢中になるあまり、半ば喜び勇むようにまくし立てていた彼も、私の顔を見て流石にマズったと思ったのだろう、手をひらひらさせると部屋を横切りトイレに向かった。頬の内側を無意識に強く噛んでいた私は、顔が強ばっている自覚があった。

それにしても、半年前の直接は関わっていない事件の事をよく覚えているものだ。これが、私に全く関係の無い人たちに起こった出来事であれば、感心するところであるが、被害者の一人とは面識がある。それはコンサルト会社の社長である奥さんで、それだけに複雑な気分だ。

彼女との出会いは、官民一体のあるプロジェクトだった。その奥さんと私は別々の会社に所属していたが、なんとなくウマが合い何かと世話になった。その後暫くして、彼女は独立しコンサルト会社を立ち上げたが、それからも仕事上何度もお世話になっていた。

その彼女に起こった出来事だけに、半年前に事件の一報を聞いた時は、台湾に短期出張中だったが現地で出来るだけ情報を集め、一時帰国し告別式にも参加し、あのマンションにも足を運んだ。その後も新聞や週刊誌、ネットの情報を出来るだけ集めていた。彼は、そんな私さえ知らなかったような事まで知っている。

しかし、ここでこの事件について興味があることを悟られるのは、非常に躊躇われる。先ほど胸を痛めつつも他人事に徹したのも、彼が持つ幼稚な図々しさを警戒したためである。仮に、被害者の一人と面識があると分かれば、彼は根掘り葉掘り被害者の事を聞き出そうとするのは目に見えており、こちらの心情よりも自身の好奇心を優先した質問攻めで、結果、ケンカになる事は分かっているからだ。

「──頬の内側を噛んでたよね? ホントごめん。目玉の所はショッキング過ぎました。なんか話し出すと止まらなくてさ、余計な事まで言っちゃうんだよね。ところで、先週の方の事件なんだけどさぁ」

先ほどの私の顔つきで、彼が何かあると気づいたかもしれないと恐れたが、網膜の件に私が嫌悪感を示したと解釈してくれたらしい。トイレから出てきた彼は、私の隣りにあった椅子を少し移動させると、私と20センチも離れていない距離に座った。そして彼にとっては、これが仕切り直しの話題だと思っているようで、今度は先週起こった一家心中事件について語り出した。

「この前の事件は無理心中らしいよ。夫が妻と、さらに同居している妻の両親を殺害すると、その後部屋の強化ガラスを無理矢理割って飛び降りたんだって。あのマンションの31階から飛び降りた夫は、もうグッチャグチャ。妻の方は手足を縛られた上で首に縄を掛けられ、さらに吊されて、常に上体反らしの姿勢でいないとそのまま首が絞まる仕掛けが施され、ついには力尽きて窒息死。妻の両親は2人共、ゴルフクラブで撲殺。既に床に入っていた二人を布団の上からやたらめったら殴打して、見るも無惨な姿に…。まぁ、夫はマスオさん状態だったんで、色々と確執があったんでしょうね。で、先週は事件らしい事件も無かったので、マスコミも大騒ぎさ。さっき言ったようにヘリまで持ち出して、ここが現場です──なんてやってるんだぜ。ホントに周辺住民の迷惑を考えないよな、あいつら」

「見に来たの? わざわざこの辺りまで?」

「えっ!? いやいや、ワイドショーでやってるのを見てただけだよ。確かヘリから中継をしていた局が3社あって、その映像に迷惑そうな顔をしている連中が映っていたし、望遠で撮っているとはいえ、3台のヘリが周りを飛んでちゃ五月蠅いってのは想像が付くでしょう。そうだ、新聞社のヘリも2台来てたので、計5台のヘリだ。ただ、ここに来てみたかった事は確か。だって、テレビを見たら、見覚えのあるタワーマンションが映ってるし、近隣住民へのインタビューでも、知ってる街並みが映ってたからね。そういった意味でも出張じゃなかったら良かったのに、ホント残念だよ」

彼の話を聞いていくうちに、段々とある思いが確信に変わった。もちろん証拠はなく、それを確かめる術もないが確信だけはあった。

だらだらとこの関係を続けてきた自分自身を呪った。社長の彼女に申し訳ない気持ちで一杯になった。今すぐ別れなければ。でも気づかれれば致命的だ。だとしたら次の出張までの2週間を我慢する? でも、この嫌悪感を抑えられる? どうする? 一気に色々な思いが渦巻いた。

なおも彼は、事件について話しているようだが、直ぐ側でしゃべっているはずなのに私の耳にはその声は届いていない。テーブルに置いていた私の手に、手を重ねてくる彼。一瞬、身を強ばらせたが、いつもどおりにしなくてはダメだと思い直し、重ねられた手を強く掴むと、彼の目を見つめにっこりと笑った。

私は、無意識に頬の内側を噛んでいた。

これはフィクションです