見えない蛇

見えない蛇

引き摺った跡を見つけた当主は…

その地区には、立派な屋敷が建っている。しかしその集落の人々は、余程の事がない限りそこには近づかない。

なぜならば、周囲には見えない蛇が徘徊しており、その蛇をうっかりであっても踏んでしまうと不幸が訪れるという話が代々伝わっているからだ。よって、屋敷の周囲の道は出来るだけ避け、どうしても通る必要がある場合には、皆すり足で歩くらしい。

そもそもは、何代か前の屋敷の当主が発端だった。

当時まだ“村”であったその地区は、屋敷の一族が地主として大きな権力と勢力を誇っていた。問題の当主は、我が侭放題の暴君ではなく一応は分別のある為人ではあったが、それでも村人から慕われるような人物ではなく、嫌味で小うるさいやや尊大な権力者として煙たがれていた。ところがなぜか商才だけはあり、この当主のおかげで工芸品の卸先の開拓が上手くいき、村全体が周囲よりも少しばかり裕福な暮らしが出来たという。

元々当主は、子供の頃は神童と呼ばれていた。言葉覚えが早く商売ごとの飲み込みも佳かったため、利発な子供には違いなかったが、村の権力者の一族で次期当主であるがゆえ針小棒大に「神童」と周りが言っていただけなのだが、そのまま自尊心が肥大したまま成人してしまった。そして、何かにつけて自身に学があるところを見せびらかすようになった。

しかし、その学とやらは実にお粗末で、商売以外の事についてはいわゆる“知ったかぶり”でしかなかったが、それを指摘されると実に嫌らしいやり方で、例え身内であっても容赦なく指摘した相手を貶めるため、次第に間違いを指摘する者はいなくなり、それが、当主の“知ったかぶり”に拍車をかけた。

ある時、当主が日課としている屋敷の周囲の散歩をしていると、何か引き摺った跡を見つけた。すると、当主は開口一番「この蛇(くちなわ)の大きさはいかほどだと思う?」と側にいた従者に聞いた。

従者は最初何の事を指して話しているのか分からなかった。やがて、その引き摺った跡を指して言っている事に気づき、果たしてこれが本気で言っているのか冗談で言っているのか真意が分からず、考えあぐねて答えられずにいると、痺れを切らした当主は従者にこう言い放った。

「これだから学のないヤツは駄目なんだ。これだけの幅の跡が残っているからには、横幅一尺ほどの相当大きな蛇(くちなわ)、いや大蛇(おろち)だな」

話を聞いた従者は、これは本気でそう言っているのだと判断したが、もちろん異を唱える事はせずに素直に驚いたふりをした。但し、学がないと言われた従者から見ても、引き摺った跡の横には藁草履の跡も付いており、誰かがが片脚を引き摺りながら歩いた跡である事は直ぐに分かった。

このあと家主は、屋敷の中でひとしきり横幅一尺の蛇が出た話をしたため、翌日には村中にこの話が行き渡った。村人の多くはその話に呆れたが、数人のお調子者はここぞとばかりに、屋敷の周りを脚を引き摺りながら歩いたり、すり足で歩いたりした。

当然、当主はこれらの跡を見て驚いた。

「これだけの大蛇が一度に出るとは」と絶句し、吉凶の前兆現象だと捉え、凶事であった場合を考え日課の散歩も取りやめ屋敷内をうろつくだけになり、屋敷外へはほとんど出る事はなくなった。もちろん村人の方では、馬鹿な事はするなとのお達しで悪戯は直ぐに治まったが、当主の耳には決して入る事はなかった。

それからひと月もしないうちに、村の顔役のひとりでもある老人が病死した。皆は、歳も歳だしこの10日ばかりは床に伏せていたので、至極当たり前にその死を受け入れたが、当主だけは違った。

例の騒動が起こった直後、当主が屋敷の中庭から外を眺めていると、その老人が屋敷の前の道を通っていて何かの拍子に転んだ事があった。この事を老人の病死と関連付けた当主は、ついに凶事が起こったと騒ぎ立て、妄想は妄想を呼んだのか転んだ原因は蛇を踏んだからとなり、死は祟られた結果という事になった。

そもそも、蛇の這った跡とされるもの自体が、当主の知ったかぶりから始まった事は分かっていたが、なぜかおかしいと分かっている当主の話に、幾ばくかの賛同者が現れ出した。つまり、単なる病死であるよりも、蛇を踏んだ結果による死の方が、より意味があると考えた人たちがその話を信じたのだろう。

当主の手前、誰も蛇の話を否定できないでいた事も大きかった。結局ところ横幅一尺ほどの蛇もしくは大蛇がこの村、特に屋敷の周りを徘徊しているとなり、実在の蛇の目撃者がいない事についても、それは「見えないから」と、言い訳にもならないような条件がいつしか加わっていた。

──屋敷の一族はじめ村人達は、当主の話を優先した。

そして現在、屋敷の一族の関係者になればなるほど、知ったかぶり云々の話は失われ、“見えない蛇”の話だけが今もって固く信じられているという。

かつて村人だった人たちは、屋敷の一族同様に蛇の話を信じている人もいれば、知ったかぶりから始まった一連の話を代々密かに伝えつつも、表向きはすり足を実践している人たちがいる。どちらにしても、村の伝承をすんなりと捨て去る事はできず、かといって不便は御免被るとして最初にも述べたように屋敷にはあまり近づかない。

約30年前の屋敷の建て替えの際には、出入りする地区外の業者にさえすり足を徹底させた権勢は過去のものとなり、この地区の開発、さらには世界恐慌を経てからの一族そのものの衰退で、いわゆる屋敷詣でをしなくても、人々が十分暮らしていけるようなったのもかなり影響している。

尚、「蛇を踏まないため」として、話の切っ掛けとなった引き摺り跡を敢えて再現するように、すり足で歩くというのは非常に面白い変化である。

これはフィクションです