曾祖父の遺影

曾祖父の遺影

参列者に対する寸評や小言

葬儀の際、遺影に異変が起きたという話があるけど、僕も確か6歳のころ同じ様な事を目撃し、さらに不思議な声まで聞いた。

父方の曾祖父の式は、曾祖父の家が豪農の家系だったこともあり、参列者がかなり多かった事を覚えている。そして、曾祖父を天国に送り出すという母からの説明を漠然と反芻しながらも、当時はその意味もよく分からずに、親族席で大人しく正座していた。

とはいえ、年齢が年齢だけに退屈だったのだろう、それまで周りの大人の真似て、伏し目がちに合掌していた僕は、ふと顔を上げて曾祖父の遺影を見た。すると遺影の中の曾祖父は、先ほど自分が焼香した時に見た表情とは、明らかに違うものになっていた。

記憶では、威厳のある格式張った表情だったのに、苦虫を噛み潰したような表情であった。確かその時に祭壇の前にいたのは、いわゆる遠い親戚の中年の夫婦だったと思う。その後も、焼香する人によって表情が変わっていく。同じように苦虫を噛み潰したような表情の時もあれば、元の格式張った表情に戻る時、ちょっと口元をほころばせる時もあった。

たぶん、生前の曾祖父がそれらの人物に抱いた印象で、表情が変化したのだと思う。

但し、このあたりは「今思い返せば」というだけで、6歳の僕は単純にそれが面白かっただけである。焼香する人と、遺影の表情が連動しているなんて当時は思い至らなかった。単純に、曾祖父の表情が次々と変わる事に目を奪われた。

そして、その現象に気づいて少し経った頃、お坊さんのそれとは明らかに違う声音と言葉が、徐々に聞こえ出した。これも今思い返せばであるが、曾祖父が各個人を前にしての寸評や小言だった可能性が高い。

やれ「お前は、意地汚いのじゃ」とか、「もっと子供を大事にしろ」とか、(たぶん借金についての事だと思うが)「棒引きにしてやる」といった言葉が耳に残っている。

そんななか、ある男が焼香をあげようとした時、それまで精々苦虫を噛み潰すくらいだった曾祖父の表情が、大きく変わった。目を見開き歯を剥き出し、敵意を込めた表情になった。同時に「この香典泥棒」という言葉が聞こえてきた。

これに驚いた僕は、奇声を上げて思わず仰け反った。僕の記憶が確かなら、周囲の2、3ヶ所で僕の声と重なるように、「えっ」や「ひっ」といった声が聞こえた気がする。

隣りで僕の奇声に反応した母は、僕の背中に手を回すと周りの親族たちに頭を下げ、声を潜めつつ僕を叱りだした。僕は母の声もそぞろに、曾祖父の遺影を改めて見た。曾祖父の表情は相変わらず怒っていた。母は僕が話を聞いてないと判断したのか、僕の両肩にそれぞれ手を置き、僕の顔を覗き込んできた。

当時、泥棒という言葉については、意味がそこそこ理解出来ていたが、香典という言葉については何の事か分からず、叱る気満々の眼前に現れた母の顔に、出鼻をくじくような感じで問いかけた。「こうでん泥棒って、なに」と。僕の言葉を聞いて眉をひそめる母。

すると自分たちよりも前列にいた親族の誰かが、こちらを向き母に言葉を掛けた。謝罪し改めて周囲に頭を下げた母は、休憩室に行こうと僕を急き立てた。6歳とという年齢もあり、子供が葬儀に飽きてぐずったとでも思われたらしく、母からはそれ以上は叱られることはなかった。母や父は、親戚筋から嫌味のひとつでも言われたかもしれないが。

以上、これが僕が6歳の時の体験。

「香典泥棒」については、子供だったし特に追求もせずに忘却の彼方へとなったが、3年前にこれも父方になるけど、祖母の葬儀があって、その席で6歳の時の経験を色々と思い出したので、当時の事を母に聞いてみた。

もちろん遺影の件は言わなかったが、香典泥棒については、逃げられる寸前までいったらしい。もっとも僕が見た件の男が犯人かどうかまでは不明。ただ、農地改革前の本家である曾祖父家は本当に裕福で、そういう輩に狙われる素地は充分にあり、元々かなり警戒していたらしい。

なので、仮に遺影の件が本当にあった事だとしても、それで香典が無事だった事とはまた別問題だと思う。

そうそう、祖母の遺影については、変化が起きる事はなく声も聞こえなかった──と付け加えておこう。

これはフィクションです