商店街

商店街

覚えがあるのに覚えていない

「はい、本日伺っているのは、○×商店街です」

元気なアナウンサー?リポーター?の声が流れてきた。独り身の時はテレビがない生活であったが、結婚してからは、妻の習慣に合わせ、朝は時間をチェックするためにテレビを点けていた。そして、妻が病死してからもその習慣は続いている。

僕は、その商店街の名称を聞いた途端、何かしら記憶の奥がチクチク刺激され、画面の方に目をやった。

覚えがあるかも…。商店街の入り口の真ん中に立つ若い女性をあおり気味に、その頭上にある商店街の名称をあしらった大きな看板が映っていた。しかし、ゆっくりと記憶を辿る時間はなく、後ろ髪を引かれつつも身支度を調えると自宅を出た。

会社への道すがら色々と考えてはみたが、結局何も思い出す事はできなかった。もし何か重要な事であればいずれ思い出すだろうと考え、会社に着いてからは、今進めているプロジェクトに意識を集中した。ところが、その日は仕事中何度も何度も、朝に見たテレビの画面が頭をかすめる事となる。

実際、何に覚えがあるのかさえも分からない状態である。記憶を刺激された切っ掛けは商店街の名前だったはずなのだが、実際その名前を口にしてもピンとくるものはなく、では、その風景なのか、それとも出演していたリポーターの女性についてなのか、皆目見当が付かない状態で、具体的な何かが見えそうになると、するりとそれが指からすり抜けて霧散していく。

退勤時間を待って、スマホで件の商店街を検索し場所を確認すると、自宅とは全く違う方向にあり、会社の最寄り駅からは1本で行けるにしても、片道1時間程かかるらしことが分かり、ちょっと躊躇した。だが、このもやもやした感覚がこのまま続く事を考えると、今ここで行ってみるべきだと決断した。

商店街の最寄り駅の改札を出たところで、スマホの地図に改めてチェックし、歩いてほんの2、3分ほど先にある商店街を目指した──。

「えっ!?」

検索したのは、朝のテレビで見た商店街の名称のはずである。ところがどうだろう、辿り着いた先は、朝のテレビで見た商店街とは似ても似つかぬシャッター通りだった。あったはずの看板もない。反対側の入り口か?とも思い、急ぎ足でかつては商店街だった通りを進んでいったが、駅から離れるほどに寂れ具合もより一層増していくだけだった。

耳にも残っており、画面も鮮明に覚えている商店街の名称を再度検索してみるものの、結果は同じである。試しにストリートビューを見てみると、自分の目の前に広がる風景と同じものが表示された。その後は聞き間違い、見間違い、覚え間違いを考慮して様々な似た単語で再検索したが、結果は全て、記憶の中の「○×商店街」にかすりもしなかった。

全然違う風に覚えていたのかな?と考え、これは番組をもう一度見るしかないと、テレビ番組の方から情報を手繰りよせる事にした。ごにょごにょにアップロードされているヤツでもいいかなぁと考えていたところ、その番組の公式サイトで、すんなりと商店街についての情報が見つかった。

「なんだ、最初からこうしていれば…」と独り言ち、『真季子の探訪リポート・○×商店街を訪ねて!』という文字列をタップした。

刹那、スマホがいきなりブラックアウトした、と感じた“それ”が、したような…という感覚に変わり、したかも…、した…? え、したって? …なに?どういう事……意識が吸い込まれていく感覚になり、意識が途切れた気がした──。

──何をしてたんだっけ? 一部はっきりしない霞がかかったような頭でぼんやりと周囲を眺めると、おっさんの客を呼び込むダミ声や、主婦たちの話し声など、商店街の喧騒が徐々に聞こえ出し、それにつれて僕も帰宅途中だった事を思い出した。

僕は近くにあった公衆電話ボックスに入り、「何か買っていく物はないか」と妻に聞くため、受話器を持ち上げ10円を投入するとダイヤルを回した。

これはフィクションです