仮想人間

仮想人間

原因不明の現象により劣化していくCG

僕がこの会社に勤めだして早3年、“SNS関連企業”と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけライブ配信&ビデオチャットの会社だ。

元々は、動画配信サービス『Cathode(カソード)』を利用する会社に対して、動画の注目度や再生数をアップするための対策などのコンサルト業務がメインの会社だった。ところが、Cathode側が2年前に行った、疑似視聴対策やパターン抽出精度の向上などの大幅アップデートにより、これまでお金になった“グレーなご協力”の継続が難しくなったために、1年半前からは動画の配信事業、いわゆる“Cathoder”を使ったライブ配信業務に力を入れている。

会社は、ワンフロアごとに1社が入る小規模のオフィスビルの3階に2年前から事務所を構えており、Cathoder業務に手を出した際にちょうど空室だった4階をサーバ室として借りている。サーバ室には、グラフィックボードndDrawing 587を16枚積んだグラフィック専用サーバが5台と、対人サーバが27台、学習サーバが9台、バックアップサーバが15台あり、計75キャラのCathoderがこのサーバ群に収納されている。

1年半前までは営業兼務のエンジニアだった僕は、そのCathoderを監視するバイトの管理が今はメインの業務となっている。バイトの方は、同時に稼働する30キャラ程度のライブ配信をただ見ている仕事で、24時間体勢で常時2~3人がシストを組んで詰めている。僕も手が空いた時には監視業務に参加するが、バイトの管理以外にもCathoderのアルゴリズムのちょっとした修正から、庶務のような役回りも行っている。

というわけで、いつものように管理&監視業務を行っていると、グラフィックに異変が起きる前兆現象を察知したプログラムが、管理用端末にアラートを表示した。僕はアラートで示されたCathoderの状況を確認し、何位もせずそのまま待った。アラートが表示された15秒後には、ライブ配信が終了モードに自動的に移行するからだ。

当該Cathoderの画面に目を移すと、配信を急遽終了する旨のお詫びの内容へと切り替わり、程なくして配信は終了した。何度見ても感心する。グラフィックはもちろん、いきなりの配信内容の変更についても、AIがリアルタイムで状況を作り出しているとは到底思えない。本当は“仮想人間”では無くて、実在の人物がいるのではないかと思えるほど自然な振る舞いである。自分がプライベートで関わっているネット越しの人たちも、実際はこういったキャラである可能性を考えると、空恐ろしくなる。

僕の隣りに座っていた、バイト君と顔を見合わせ、無事終了した事に対して安堵の溜息をつくと改めて業務に戻った。

“現象”は、4ヶ月前に起こったのが最初だ。グラフィックが段々と劣化していき、Cathoderの容姿が明らかにCGだと分かるまでに落ち込むのだ。日にちや時間に規則性はなく、ただ一点、視聴者から本物の人間と認識されているキャラに限ってこの現象が起こる。そして、これまでに4キャラが“仮想人間”とバレて、人気が急落し大きな損失となっている。特にクリスというキャラは、何万といるCathoder全体でもトップ100に入る人気者だっただけに、会社へのダメージは大きかった。但し、この会社がバックにいる事まではバレてない。

技術部としては、もう少しデータが集まれば、他にも何か違った共通項が見えてくるかもしれないが、だからといって“現象”を放置するわけにはいかないジレンマがあるらしい。それでも、なんとか前兆現象を検知するプログラムだけは完成させ、CGの劣化がはじまる前に終了モードに移行する事で、残りの仮想人間系Cathoderの34キャラは、今のところ仮想人間だとバレるのを防いでいるが、事態の根本的な解決には至っていない。技術畑出身の社長と技術部の2人で、手を尽くしてはいるものの原因不明としか言い様がない状況だという。

そんな手詰まり感が漂う中、いつものように遅い昼食をとって戻ってきた技術部の高松さんが、僕ともうひとりの技術部の仲河さんと休憩中だったバイト君の3人を前に、変な話を聞いてきたとして、4階にまつわる話をはじめた。

「さっきメシ食いに出かけた時、エレベータで5階の会社の人と丁度一緒になって、あぁその人は女ね、その女の人が向こうから話しかけてきてさぁ──」

5階の人は、30代前半くらいで高松さん曰くスラッとした“いい女”だったらしく、高松さんが4階からエレベータに乗ってきた事で、恐る恐る探りをいれる感じで4階についての話を始めたという。

「そもそも5年前までは、4階にアプリ制作の会社が入ってて、結構人気のアプリを作ってたんだけど、ある時プログラマの1人が、発作的にカッターナイフをトイレに持ち込んで首を掻き切ったんだって。会社は遺族への補償と、労働環境局の査察によって結構な罰金が課せられた事で倒産してしまい、自殺騒ぎから半年後には4階は空室になり、それから2ヶ月後に外国の貿易会社が4階を借りたらしい」

ここでひと息ついた高松さんは、そのまま話が脱線しそうになる。

「プログラマの自殺か、俺も最近ヤバいよね。仲河さんももうそろそろなんじゃない。こうやって使い捨てられていくのが…」

僕は、高松さんの愚痴を既に耳にタコが出来るほど聞いており、5階の人から聞いたという話の方に俄然興味があったので、慌てて「4階を借りた貿易会社はどうなったんです?」と、軌道修正すべく高松さんに質問した。

「そうそう、その貿易会社が入ってしばらく経つと、4階ではトイレから異臭や異音がするとか、LEDライトが1ヶ月も持たずにダメになるとか色々あって、ビルの管理会社にもクレームが入って、一応原因を調べたようとしたんだけど原因は不明、予防も出来ないって事で管理会社も匙を投げて、結局、貿易会社は1年も経たずに出て行ったんだって。で、その後も4社ほどが借りては出て行きというのがあって、この会社が借りてようやく落ち着いているらしい」

「霊とかですか?」と、バイト君が恐る恐る口にした。

「かもね。トイレでしか異変は起きなかったというし。──それで思ったんだけど、グラフィック専用サーバはトイレの近くに設置してあるじゃん。あの“現象”はそれが影響してるのかもってね」と、高松さん。

僕は、高松さんのかすかにニヤけ顔になっている表情の変化を見逃さなかったが、「でも、あの現象は4ヶ月位前からでしょう。会社が“Cathoder”をはじめたのは1年半前ですから、それまでの1年ちょっとはなぜ無事だったんですか?」と、悪趣味だと思いつつも敢えてその“幽霊説”に乗ってみた。

すると高松さんは待ってましたとばかりに、「解析するのに時間が掛かったんじゃない」と云うと、アプリ制作のプログラマだから“仮想人間”関係のプログラムなんてたぶん畑違いだし、5年前が現役って事はそれだけでかなりハンデがあり、コーディングAIの有無やあってもその育成レベルで仕事の質がかなり違うからね、と続けた。

「なるほどね」と、僕は高松さんの“幽霊説”に半ば呆れつつ、ふと隣りにいる仲河さんの方を見た。仲河さんは渋い顔をしつつ、何か考え事をしているようだった。

「というわけで、この話はお終い。さぁ仕事、仕事」と高松さんが場をお開きにした。バイト君はちょっとビビっているようだったが、「大丈夫、監視のバイトは4階に行く事ないから」と、高松さんの意図を告げる事なく「大丈夫」を繰り返した。もちろん、後でネタばらしをするつもりだ。

僕は自分のデスクに戻ると仕事に戻り、頃合いを見計らって先ほどのバイト君にネタばらしをした。そして、その日は特に何も問題が起こる事なくそのまま退勤の時間となった。

退勤後、僕個人のスマホを起動させると、先に退勤していた仲河さんから連絡が入っている事に気づいた。

 見て欲しいものがあるので、
 明日、私の席に来ていただけますか

翌日、仲河さんから見せられたのは、エレベータの監視カメラの映像だった。エレベータの中央奥の天井にカメラが取り付けてあり、画面には扉が画面上部に映っている。

「どうしたんですが、これ?」と、声をひそめて仲河さんに聞く。高松さんは今日は休日だし、監視のバイト君たちは、ちょっと離れたパーティションで仕切られた区画にいるので、声をひそめる必要もないのだが、どうしても小声になってしまう。

「あの“現象”の原因がハッキングだとすると、その侵入経路が今もって分かりません。可能性としてはネットワーク越しではなくサーバに直接アクセスした事も考慮すべきとなり、ビルの出入りをチェックするのは必然でしょう」と仲河さんはしれっと答えた。

続けて、「だから、エレベータの監視カメラの映像をちょこっと分配してもらっています。もちろん内緒でね。で、ここなんですけど──」と、仲河さん。

映像には、4階からエレベータに乗り込んでいる途中の高松さんが映っていた。エレベータには彼しか乗っていなかった。僕は「昨日のあの時間という事ですか?」と、改めて聞いた。

「そう、高松さんが昨日お昼に行った時間です」

「5階の人なんて乗ってませんね。ん? 振り向きましたね。なんか話してる感じですが…。これも含めて、あの話の仕込みをしたのでしょうか。本当にまめですねぇ、高松さんは」

「まめかどうかはともかく、一応前後3時間と過去二週間分の高松さんがエレベータに乗っている映像を見ましたけど、高松さんが女性とエレベータに乗り合わせている映像はこれしかありませんでした」

と、仲河さんが引っかかりのある言い方をしたところで、映像は1階に着いたエレベータの扉が開いて、高松さんが誰もいない、何もないエレベータ奥を見ながら背後を気にしつつ、バックで出て行くところだった。と、その時僕は一瞬何か見た気がした。

仲河さんは、既に映像を停止し映像を1コマずつ巻き戻しているところだった。そして何の前兆もなく、いきなり女性の後ろ姿が映っているコマがあった。

高松さんの仕込み説を未だ捨てられない僕は、努めて笑おうとしたが、どうしても笑う事が出来ず顔が引きつるだけだった。

静かに仲河さんは、語りはじめた。

「このビルに引っ越してくる時に3階はもちろん、それ以外の階についても調べてみましたが、自殺云々の話は一切ありませんでした。ただ、昨日の高松さんの話で5階の女性という方の容姿を説明されたときに、何故か私の頭の中にその女性の顔が鮮明に浮かび上がってきまして、ただその時は、思い浮かんだ顔がどこかで見た事があるんだけど──という感じだけでした」

仲河さんはさらにコンピュータを操作し、もう1コマ映像をバックさせた。画面には女性の正面の顔が映った。

「それで、高松さんの話が終わったあと直ぐに思い出しました。見た事あるでしょう。そう、彼女はこの会社で最初に作った“仮想人間”のkasumiシリーズのひとりアユミです。2年以上前に完全に削除し破棄したため、高松さんは見た事がないはずです」と、仲河さん。

確かに、kasumiシリーズは、この会社がCathoderのライブ配信業務に参入する前から開発を進めていた“仮想人間”だった。ところが、AIの基礎を構築するためのプログラミングAIにバグがあり、どんなに環境を変更しようとも一定の育成期間を過ぎると自傷傾向を示すため、シリーズごと破棄された素体である。高松さんはそんなkasumiシリーズの破棄後に入社した人だ。

ところがどうだろう、この映像はどうみてもアユミだ。アユミを知らないはずの高松さんがアユミを使って悪戯をしている。しかも、グラフィック自体は今の“仮想人間”と遜色なく、本物の女性と言われても違和感が全くないものになっている。僕が知っているアユミは、使っていたグラフィックサーバの制限で明らかにCGと分かる外観だったのに。

これはどういう事? 高松さん単独でなく、仲河さんが共謀してる可能性!? いやいや仲河さんの反応は、共謀しているとはいえないんじゃ…、それも含めて悪戯の可能性…と頭の中でぐるぐると考えが巡っていると、ある事に気づいた。

あの“現象”によって劣化したCGは、あの時のkasumiシリーズと同じくらいだという事に。

これはフィクションです