とあるSNSのページ

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「友達」リストに見覚えのある名前

中学の同級生の名前を検索してみた。すると、とあるSNSのページがヒットした。掲載されている写真を見ると、当時の面影あるので本人で間違いないようだ。

そして、「友達」のところに見覚えのある名前がちらほらあった。その後は、気になる名前にアクセスしてはそれぞれのSNSのページをチェックし、また元のページに戻るという事を繰り返していると、やがて「友達」リストの最後に到達した。

次はタイムランでも見ようとカーソルを動かしかけたところで、先ほどは気づかなかったが、何故か記憶を刺激される名前が目に止まった。

「あれ、なんだっけ? 見覚えがあるような、ないような…」と、つぶやきながら記憶を探っていくうちに、輪郭がはっきりしてきた。

慌てて、その名前の人物にアクセスしてみたところ、記載されているプロフィールを見る限り、間違いなく“彼”だった。アクセスするまでは同姓同名の線も考えていたが違ったようだ。但し、プロフィールの写真は、山から撮った自分も見覚えのある風景写真になっており、本人の顔は分からず仕舞い。その他の写真にもざっと目を通したが、自撮りの類いはなく、本人と確認できる写真はひとつもなかった。

しかし、そんなはずはなかった。最初に名前を検索したあいつと“彼”が、「友達」になるなんて考えられなかった。“彼”を筆頭にクラスの何人かは、あいつをリーダーとした男女8人くらいのグループに、暴力や恐喝を日常的に受けていた。もちろん自分もその被害にあっていたひとりだ。そして、あいつの名前を検索したのは昏い気持ちからだ。決して、当時を懐かしんだからではない。たまたま、あいつが不幸な目に遭ったという事を人づてに聞いたからである。

どういう事だろう? 疑問に思いながらも、あいつと「友達」になった経緯などが書いてないか、“彼”のSNSのページをさらに詳しく見ていくと、探していた答えは結局見つけられなかったが、ざわざわした感覚だけが残った。

中学生時代の記憶が色々と甦ってきたからだ。思い出すだけでも憂鬱になるあの時代を。

と、ここでさらなる疑問が湧いた。“彼”のページには自身が受けた理不尽な仕打ちが綴ってあり、ページにアクセスすれば容易に読めるようになっている。それなのに、なぜあいつは彼を受け入れたのだろう。加害者たちの名前はぼかして書いてあるが、当時のクラスの連中などからすれば容易に特定が可能である。先ほど、あいつの「友達」として彼以外で自分が気になった名前というのは、その加害者グループの事であり、そいつらは何故忠告しなかったのか? “彼”のページを読めば読むほど、憂鬱な感情と疑問が湧き上がってくる。

読むのを止めて考え込んでいたところ、ようやく気づいた。“彼”のプロフィール写真は自分が最期に見た風景だった。

これはフィクションです