お戻り様

お戻り様

約40年ぶりの出来事

昭和4年(1929年)の秋、事件は起こった。

前日までのぐずついた天気が一転し秋晴れの気持ちのいい正午過ぎ、深澤健夫の長男・進(5歳)が行方知れずと、母・敏子が駐在所に駆け込んできた。対応した中村巡査部長は、妻に敏子の世話を頼むとすぐさま深澤宅に向かった。

しかし僅か2時間ばかりで、中村は深澤家の家長・甚之輔と村の世話役のひとり堀内太蔵を伴って駐在所に戻ってきた。深澤と掘内の2人は、そのまま駐在所の隅で敏子と3人で話をはじめ、敏子はときおり声にならない叫びをあげたが、最後の方は肩を震わせて泣き続けるのみであった。そして彼女の頷くような仕草が合意の合図だったらしく、敏子は2人の老人と共に駐在所を後にした。

中村の妻はその様子を訝しんだが、夫の諦めきった表情と首を僅かに振った仕草で、それ以上の詮索を止めた。

この村には、数えで8歳未満の少年が神隠しに遭う伝承がある。そして、神隠し後1ヶ月以内には村の御神木の根元に一度戻されるが、5年以内に再び神隠しに遭い二度と戻ってこないという。これをいつしか『お戻り様』と呼ぶようになった。『お戻り様』とは現象そのものを指し、対象となった少年の事もそう呼ぶ。

この神隠しは、約40年前に起こった一連の事象と重なる場面が多く、村の老人たちの判断で早々に『お戻り様』とされた。特に、進が失踪する四日前、深澤家の屋根に白い布きれが引っ掛かっているのを近所の30代の女性が目撃していた事が決定打となった。しかし、その時は騒ぎにはならなかった。これは深澤家が村の外れの方に位置し、布きれの目撃者が『お戻り様』を知らなかった事、そして深澤家で『お戻り様』を知る唯一の人物である甚之輔が、その時分は体調不良で寝込んでいたためである。

偶然が重なり『お戻り様』の予兆は認識されず、進の失踪によって初めて事が認識された。

目を離した一瞬の隙に

布きれが目撃されたとされる日の翌朝、まだ暗いうちよりぽつりぽつりと雨が降り出しあっという間に大雨となった。布きれはこの時点でもう見当たらなかったという。それが三日間続いた後、秋晴れにはしゃぐ進を連れ、敏子は深澤家所有の畑に向かった。夫の健夫と、体調不良から回復したばかりの甚之輔へ食事を届けるためである。

ところが道中、進が畑と雑木林に挟まれた小路から蜻蛉を追って雑木林に向かうと、草が生い茂る所で姿が一瞬隠れた。するとその瞬間、敏子の耳元で「貰っていくぞ」という声が聞こえた。但し、後々思い返せばというだけで、本当にそう聞こえたのかは定かではないとの事。もっとも、身体の芯から冷えるような声音だったのは確かで、その場で座り込むくらいの恐怖を覚えたという。腰が抜けそうになった敏子は、それでも直ぐに息子の姿を追うべく、目を雑木林に向けた。しかし、一瞬隠れただけと思っていた進は、姿はおろかこれま陽気に弾んでいた声や雑木林をかき分ける足音、そして気配さえも既に途絶えていた。

敏子は暫くその場で息子の名を呼び、叫び、雑木林にも分け入って姿を探したが見つけることができず、やがて夫の元に走った。事の次第を聞いた夫は、慌てて現場に向かおうとした。しかし、家長の甚之輔には思うところがあり2人の行動に待ったをかけた。甚之輔は敏子を一旦落ち着かせ二言三言やり取りすると、健夫に直ぐさま世話役の掘内家に向かい『お戻り様』と伝えよと厳命した。普段から物腰が柔らかく、健夫が結婚してからは特に、家長としては一歩引いたような状況であった甚之輔が、いきなり強権を発動したため健夫は戸惑いつつもその命に従い、掘内家に走った。

敏子はどうしていいか分からず、しばらくは夫の走る去る方面と目の前の甚之輔を見比べていたが、意を決すると来た方向とは別方向に走り出した。甚之輔は走り去る嫁を追おうとしたが、病み上がりな事も相まって追いつけず、直ぐさま仕事を中断して自宅に引き上げる事にした。

畑から自宅に戻るということは、例の現場の側を通ることでもあるため、敏子が説明した場所付近を甚之輔も孫の名前を呼びながら注意深く通ったが、人の気配どころか虫一匹見つけることが出来ず、直ぐに諦めて自宅に向かった。甚之輔は、帰宅するよりも先に近所の夫婦の元を訪れ、「四日位前に、付近で白い布きれを目撃していないか」と訊ねた。予感したとおりの答えを聞いた甚之輔は、訪ねてきたときよりもより一層肩を落とし引き返していったという。

一方、健夫の報を聞いた掘内は、家の者に村の主だった者に『お戻り様』と伝えよと残し、急ぎ深澤家に向かった。深澤家に着いた掘内は甚之輔の様子を見ると事態を確信し、話し合いをはじめた。暫くすると村人が3人、4人と集まりだし、村長の到着を今や遅しと待っている状況になった。そういったなか、件の中村巡査部長が到着する。中村の到着によって、甚之輔は敏子がどこに向かったのか理解したが、警察権力に頼っても意味がないと諦観しているようで、暫く待って欲しいと彼に告げると、そのまま堀内や他の世話役たちとの話し合いを再開した。

中村巡査部長もここが“村”であることを改めて認識し、甚之輔の言葉に従い待った。その後、村長も合流した。ところで、傍らで中村が話の断片を聞いた限りは、子供の失踪そのものについての解決は端から諦めているかのようで、皆一様に唸っている事が多く、甚之輔の手前一応深刻そうな面相を繕いつつも、なんとなく嬉しさが垣間見える雰囲気であった。

中村がそろそろ痺れを切らす頃合いを見計らったかのように、甚之輔と堀内が話し合いの輪を外れ彼の元に来た。駐在所にいる敏子を連れ戻すと云う。事の仔細は道中話すが、今回は進は魅入られただけであり「警察官」としてこの事への介入は遠慮してくれと、2人の老人から堅い意志を宿した目で口々に言われた。思わず中村は、背後にいる村長ら総勢8名の村の有力者たちを見ると、同様の目で見つめられており、その異様さに気圧されて微かに頷いた。それが合図だったかのように、2人の老人は駐在所に向けて歩き出した。中村巡査部長は慌てて2人を追う。

戻ってきたはいいが…

帰宅した敏子はそのまま2日間寝込んでいたが、その後は村の御神木参りが日課となる。そして21日目の黄昏時、ふっくらした面持ちが痩せ細り頬骨が浮き出すまでになった頃、御神木の周辺に彼女とは別の気配が涌き起こった。敏子が御神木を回り込むと、進がそこにいた。

進が戻ってきた知らせはあっという間に村中に行き渡り、そこから丸二日をかけて『お戻り様』を向かえる祭りがはじまった。当初、事態を飲み込めていなかった進は目を丸くするばかりであったが、直ぐに自身が主役という事もあり大いに祭りを楽しんだ。

敏子は、祭りの後ようやく親子2人きりの時間を作れるようになると、息子に色々と質問をしたが、神隠しに遭っていた23日間についての記憶を含め、いくつかの言葉も失っていることに気づく。新しい言葉は覚えるものの、失ったと思われる言葉については再習得さえもできないという有様で、甚之輔からはそうであると聞かされてはいたが、それが現実であると分かるまでは半信半疑であった。しかし、これにより5年以内に再度神隠しに遭うという話も現実味がより増した。敏子は徐々に心を患っていった。

夜中に突然起き出すと、進を抱きかかえ泣き出す敏子、日中も常に目を離すまいと、嫌がられてもおんぶに抱っこをしたがる敏子、その様子を哀しい顔で見守る深澤家の男2人。しかし半年もすると、甚之輔は家の中の事象については、より一層引いた態度を示すようになり、健夫は敏子の心配はするが、進については妻の病状の悪化と共に息子ではなく『お戻り様』として接することが多くなった。そういった深澤家の混迷と諦観とは対照的に、村そのものはより栄えていった。

神様の気まぐれの余波

『お戻り様』は山神様への供物であり『お戻り様』が起きるということは、この地域の運気が向上することを意味する。

但し、よくある生け贄・人柱の伝承と違うのは、『お戻り様』は不幸を払拭する意味での供物ではない。純粋に神の気まぐれで事は起こり、男の子の言葉の一部と神の元にいた時期の記憶が奪われる。神はその行為により陽気になり、“余波”として治める地域にも佳き事が起こる。

その後、深澤家はどうなったかというと、進が戻ってきた3年後、伝承どおりに彼はまた神隠しに遭い、戻ってくることはなかった。敏子は進が再び神隠しに遭った3日後には、深澤家は元より村からも姿を消してしまった。ある人は敏子を指して、同じように神隠しに遭ったといい、またある人は、息子を探して近隣の山々を彷徨い歩いているという。

健夫は、『お戻り様』の父親ということで、村全体で何かと面倒を見てもらっておりながらも、傲ることなく現在も同じ場所でひっそりと暮らしている。甚之輔は進が戻ってきた1年半後に亡くなり、『お戻り様』の祖父ということで、村を挙げての盛大な葬儀が執り行われた。

これはフィクションです