今更ながら『モンスターズ/地球外生命体』を観る

今更ながら『モンスターズ/地球外生命体』を観る

いいえ、モンスターを期待してはいけない

録画したはいいものの、そのまま放置している作品がいくつもあるが(特に、映画関係で)、本作もそういった作品の中のひとつ。2014年7月23日にテレビ東京で放送された作品で、「ハリウッド版ゴジラの監督のデビュー作」というキャッチに惹かれて録画し、放送から4年以上を経てようやく視聴。

映画公開は2010年。本作は方々で散々述べられている事だが、地球外生命体のサンプルを乗せたNASAの探査機が帰還途中に大破して、モンスター(地球外生命体)がメキシコの北半分を浸食している世界ではあるが、怪獣どころかモンスターが主題・主人公の映画ではなく、そういった状況下における男女2人のロードムービーである。

探査機の事故から6年後、モンスターの取材をしていたカメラマン・コールダーは、中央アメリカのサンホセで社長の娘・サマンサが災禍に遭ったということで、会社の上司にその安否を確認するように命じられ彼女が収容された病院を訪れる。サマンサの無事を確認したコールダーは、それを上司に報告すると今度は「その地域から彼女を脱出させろ、近くの港まででいいから送れ」とさらに命じられる。

渋々その命令に従ったコールダーは列車に乗りアメリカまでの便が出ている港まで行こうとするが、その列車はモンスターの出現により途中で引き返すことになる。すると彼はその列車を降り“足”の確保もないまま強引に港まで行こうとする。

なんかねぇ、ここで「ありゃ」って感じで一気に萎えた。愚直に北方向への最短距離ではなく東や西、なんなら南回りでもアメリカへ行くルートはあるでしょうにと。

実際、設定でどこまで考慮されているのか分からないが、メキシコの北半分が危険地帯である以上、現実世界の“普通”ならば、それに代わるルートを考慮し確保しているのが国としての“普通”だと思う。ところが、そのあたりに言及されることもなく愚直に北上だけを目指す2人。もっとも、メキシコの北半分が危険地帯といいながら、メキシコよりもはるか南のサンホセまでモンスターの災厄が及んでいる設定からすると、NASAの探査機が原因だけに、中南米の国々では現実世界よりもより一層対米感情が悪化して、そういったルートの確保もままならぬという事になっているのかもしれないが。

しかし、劇中では災厄の原因を作ったアメリカの国民だからと恨まれている描写はなく、主人公の2人にむしろ協力的でかなり親切である。精々、足下を見て法外な値段をふっかけたチケット売りのオッサンくらいか。パスポートやカメラの窃盗なんて恨みからの犯行ではないし。

ところがである、萎えた気持ちのまま我慢して観ていくと評価は段々と変わってくる。ロードムービーとしては結構面白い。

船の出航を待つため港町で一泊することになるが、何かと“そういう雰囲気”を(本人的には控えめに)アピールするコールダー。それにNGを喰らうと酒場でやけ酒をあおるといった一連の流れは、親密な仲になりたいけど婚約者ありで社長令嬢だから自分からは口説かないという彼のゲスさが見て取れて、ここから徐々に評価が上がってくる。

その後のパスポートのくだりで、なぜ大事なパスポートを他人に預けているのか?というところで、またちょっと萎えるし、モンスターが跋扈している危険地帯を移動しているという状況をサマンサが理解出来てない様子もなんだかなぁ~という感じもするが、男女の機微だけはよく描けていると思う。それに、惹かれ合って直ぐにそっち(肉体的な)方面に行く事もなく、抑えた感じなのも好感が持てる。

但し、「なぜその選択をするのか? 選択せざるを得なかったのか?」という部分がガバガバで、そういった状況下における人々の最低限の基礎知識、共通認識などの世界観が疎かに感じるので、そのあたりはもっと詰めて欲しかった。

モンスターの生態に関する知識が何もなく、必需品であるはずのガスマスクさえも持っていないなど、災厄が始まって6年、モンスターの取材をしようと許可を貰うまでに3年も待ったにしては、知識も何もなさ過ぎなマスコミ関係者であるカメラマン・コールダーと、危険地帯を通っているのに、モンスター出現の可能性に直ぐに思い至らない社長令嬢・サマンサの2人が、「北上以外の道を知らない」というのも“彼ら”だからで片付けられる問題なのかもしれないが、ある程度まで物語が進まないとそこが見えてこないため、途中までは設定の穴が気になって仕方がなかったw

アメリカがメキシコとの国境に築いた壁や、モンスターの出現を自然災害の一部のように語る住人など、この作品にはメタファーとしていろいろな意味が込められているようなので、不勉強な彼の姿もまた“何か”のメタファーなんだろう。──なんだろうが再三述べているように、災害・災厄が起きた場合の世界の秩序のあり方、各国の状況がどう変わるかという根幹の設定やデザインが疎かになっているきらいはある。もちろん、そのあたりを作り込んでも予算的に実現不可能という制約があったのかもしれないが。

尚、作品冒頭のシークエンス自体は悲劇だが、この部分を二度見出来る環境で作品を観られて良かった。たぶん映画館で観ていたらより一層もやもやした感情だけが残っただろう。